・翌月にまとめてお支払い可能
・手数料無料(口座振替の場合)
・アプリでご利用金額を確認できて安心
¥4,000 税込
なら 手数料無料の 翌月払いでOK
この商品は送料無料です。
駿河湾を挟んで、駿河の武田方、伊豆の北条方と言う事で各々の家紋を配し、
各陣営の水軍城があった所に城のマークと名称をポインティング。
中央部の軍船は上部の小回りの利く関船、下部の大型で多数の兵士が乗船できる安宅船が、
火矢・銃弾を撃ち合っている中、安宅船に搭載されていたという大砲の砲弾を忍ばせてあります。
関連地域:沼津市・静岡市・伊豆市・牧之原市・下田市・西伊豆町
歴史物語の背景
天正七年(1579)、それまで同盟関係にあった武田氏と北条氏は敵対する事になり、
駿東地域の緊張が高まった。武田氏、北条氏共に最前線に城を構築し、
駿河湾の制海権を握ろうと水軍を拡充する事になる。
武田氏は駿河を手に入れてから旧今川水軍の伊丹氏・岡部氏をはじめ、
伊豆の間宮氏を迎えると共に、伊勢の海賊衆であった向井氏・小浜氏招いて、
三枚橋城・江尻城・持舟城・相良城を構築・拡充する。
北条氏は在地の富永氏(土肥)・高橋氏(雲見)・松下氏(三津)・鈴木氏(江梨)らに加え、
熊野の海賊である梶原景宗を招き、長浜城・丸山城・田子城・安良里城・下田城を拡充するとともに、西伊豆の峠に烽火台を築いた。
天正八年(1580)3月、武田勝頼が駿河に出陣し、浮島ヶ原に布陣。
それに対応して北条氏政も小田原を出陣し三島に布陣、総勢二万五千、
両家の当主が対峙する事になった。
この対陣から動きを見せたのは双方の水軍であった。
江尻から武田水軍が出航、3月15日に武田水軍が長浜城に鉄砲を撃ち、港に放火する。
武田方の向井正綱が北条水軍の安宅船を奪ったとも伝えられる。
予測していた北条方は大型の兵船・安宅船十艘で迎撃し武田方を追いたてたが、
三枚橋城から武田方の関船が出撃し混戦状態となった。
北条方は二隻を三枚橋城からの出撃に対応させ、残り八隻で武田方を包囲しようとする。
武田方の関船は船足が速く、北条方の攻撃を巧みにかわす。
武田方は千本浜に布陣していた鉄砲隊が援護射撃をするも、北条方の安宅船には通用しなかった。
陸海入り乱れて激戦が繰り広げられたが、日が暮れたため双方が引き揚げ帰陣した。
これ以後、武田氏の滅亡まで、駿河湾の制海権を巡って駿河湾各地で武田・北条の水軍が衝突する事になる。
送料・配送方法について
お支払い方法について
¥4,000 税込
送料無料